今日4月6日はシジミとの別れからちょうど3年。

 

その日の昼下がり、小春日和の縁側に座布団を敷き2人並んで日向ぼっこをした。

シジミの妹ワカメと別れた日に学んだ教訓。

何度もシミュレーションしてはその時に備え覚悟を決めようとしていた・・・情けない小心者の私。

一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、シジミが大好きな抱っこをしてあげるたびに

「これが最後になるかも知れない」、そう自分に言い聞かせながら過ごしていた。

 

▲ワカメとシジミ

 

今思えば、命が終わる少し前だというのにとても安らかな顔で私の傍らに寄り添ってくれて、これ以上ない平和な光景を思い出に刻みつけてくれたシジミ。

 


きっと最後の贈り物をしてくれたんだね・・・。

悲しみと後悔だけを思い起こす日ではなく、

少しだけほっとできる、束の間の優しい時間を蘇らせる日になるように。

 

猫の様な潔い逝きかたは出来そうにないけれど、暮らしを共にした猫たちから学んだ必ず訪れる命の定め。

せめて限りのある生命を最後まで大切に使い切り、

猫の様な孤高の死を受け入れる勇気をいつか持てる自分になりたいと思う。

 

またきっと会おうね・・・

その日までどうか見守っていてね。

 

 

by mシッター

 

 

 

私事ながら、来る12月3日は、シッターの愛猫ワカメが逝ってから早いもので7年になります。

愛猫との別れを経験された方なら誰しも何年経っても、その日を迎えると当時の切ない思い出が蘇ってくることでしょう。

 

7年前、一人暮らしで仕事で帰宅が遅くなりがちだった私は、急に容態の悪化したワカメを発見し深夜開いている救急病院へ走りました。

検査の結果「まだすぐにどうこういう状態ではないのでしばらく通院してください」との先生の言葉でいったん安心し、家に連れて帰り、朝までまんじりともしない一夜を過ごした後、すっかり元気を失ったワカメを心配しながらもベッドに寝かせて仕事に向かいました。

そして、その日も少し残業となり、急ぎ帰宅すると何ということか! ワカメは朝の姿のままで、すでに息を引き取っていました。

 

辛くて、申し訳なくて、冷たくなってしまったワカメの亡骸を抱きしめて朝まで泣き続けました。

不謹慎と言われるかも知れませんが、実の親が亡くなった時よりも間違いなく悲しかったと思います。

永年、一緒に暮らしいつも私を癒してくれた大切な家族だったワカメの最期を看取ってあげることが出来ず、一人で逝かせてしまったという事がとても可哀想で、無念でなりませんでした。

 

当時の私がシッターという存在を知っていたら、せめて最後の時に立会うチャンスもあったのではないかと悔やまれます。

 

子猫の時から、我慢強くて、ポーカーフェイスでいつも飄々としている猫でした。

狩りの達人で、田舎にいた時はさまざまな獲物を捕まえては自慢気に持ち帰っていました。

ワカメが家から一歩外に出ると、そこらじゅうの野鳥たちが鳴き合いながら一斉に飛び立つ姿を何度も見かけたほどです!

 

やむなき事情で、博多に移り住むことになってからもすんなりと新しい環境になじみ、その物怖じしない性格で見知らぬ土地での10年間を生き抜いてくれたワカメ。

そんな猫たちのたくましさをお手本にして私もほんの少しだけ苦労を乗り越えられたのかも知れません。

それなのに何一つ恩返しが出来なくってごめんね、ワカメ。

 

相変らずそそっかしかったり弱気になったり、だめな私ですが、今は他のネコさんたちのために試行錯誤しながら何とか地道に頑張っていますので、どうぞ天国から見守っていてください。

 

by mシッター

 

 

 

シッターの思い出話に何度も登場した亡き父ですが、私達が幼かった頃には良く「犬が好きだ」と申しておりました。

 

 

「特に四つ目の犬は犬の中で一番賢いから、飼うなら四つ目の犬でなければならん」という父なりのこだわりがあるようでした。

四つ目というのは、目の上に斑点模様があり、目が四つある様に見える犬のことでおそらく父の知り合いが飼っているしつけの行き届いた猟犬のことを指していたのではないかと思います。

 

いつもそれを聞かされていた私達は、きっといつか父が犬を飼ってくれる日が来るだろうという淡い期待を持ちながらその日を待ちわびていましたキラほし

ところが、その子供たちの期待を逆手にとってと言いましょうか、父は良く悪ふざけで「犬を連れてきたよ」と言ってだましては、私達をからかって喜んでいました。

 

父は私達が半信半疑ながらも喜んで玄関から外に飛び出してくる姿を見たかったらしいのですが、今思うと親のくせに何とも残酷ないたずらですよねぇ。

とはいえ、これはわが家で良く繰り広げられていた親子のユーモアに満ちたコミュニケーションの一つでして「まただましたなー」「ハハハ、ごめんごめん」という感じのパターンがいつも繰り広げられるのでした。

 

子供とはいえいい加減に騙されまいと決心するのですが、父の演技力はどんどん向上していき「もうだまされんもんねー」と言う子供たちに対し「ほら、ポチ、こっち来んか! ツツツツツ(舌打ち)、おー来たか〜、よしよし」という具合にいかにもそこに犬がいるような迫真の演技を披露するものでついつい「ほんと?ポチおると?」と言ってとうとう飛び出してしまうのでしたヤッタv

 

そのような繰り返しで、何年経っても宮崎家の一員に「犬」が加わることはなかったのですが、いつの間にか代わりに「猫」が同居するようになりました。

犬好きを公言していた父でしたが、だんだん犬のことは口にしなくなり、「つる姫」「あずき」「あわび」「シジミ」「ワカメ」という歴代の猫たちに案外メロメロな感じで、その変わりようにはたいへん驚いたものです。(笑

 

 

犬と違ってしつけもままならないにもかかわらず、その独特の順応力であっと言う間にわが家に馴染み、家族の座におさまった猫たちは、その魅力をいかんなく発揮して私達はもちろん犬派だった父をいつしか「猫好き」に変えて行ったようですまばたきにゃん

 

by mシッター

わが家の家猫1号として暮らした猫「ツル姫」のお話です。

 

その当時人気のあった漫画の主人公の名前から命名しました。

女の子とばかり思い込み「姫」と呼んでいたのに、後になって男の子と判明Docomo_kao8

▲毛糸玉で遊ぶツル姫

 

ツル姫は、母がゴミ捨てに行った時に、集積所のあたりからひょっこり現われ、わが家に住み着くようになった子猫です。

わが家までの道のりは子猫にとってかなりの距離となるので、いずれあきらめるだろうと母は思っていたのですが、小さなからだでピョンピョンと走りながらついて来て、とうとうわが家までたどり着いてしまったのだそうですキラほし

 

それまで、庭猫を可愛がるくらいは許されていたものの、ペットを飼うという子どもたちの願いが叶えられることはありませんでした。それがどうした訳か、今回はすんなりとこの子猫と暮らし始めることになったのです。

その愛くるしい姿と、母に必死にすがってきた様子に両親も心動かされたのではないでしょうかハート

 

ツル姫がわが家に来てからというもの、子どもたちの暮らしも「猫中心」の生活へと一変、子猫と遊びたくて学校からとんで帰り、勉強もそっちのけの日々でした★

 

ツル姫は子猫の時から、人に甘えるというよりもどこか飄々とした雰囲気のある猫でした。

成長すると雄猫らしく、よその猫とけんかしたりムカデに挑んでかまれたりと、向こう見ずなことばかりやらかしては、家族をハラハラさせました。さらに大きくなると突然長い旅に出かけてはふらっと帰るという事を繰り返すようになり、孤高な猫の暮らしぶりを知らされました。

 

オス猫が大人になったら『阿蘇の根子岳に修行に行かなければならない』という言い伝えが熊本にはあり、私達も面白おかしく「今頃ツルちゃんは、根子岳で修行してるんだろうなぁ」と話していました山

▲ツル姫(手前)と仲良しの庭猫ふとミー(奥)

 

子どもたちがそれぞれ自立して家を出てしまった後は、両親と猫1匹の関係はより親密になったようです。

母がくれる手紙には、良くツル姫の近況が綴られていました ハート

たまにふらっと出かけてしまうことはありながら、ツル姫が居てくれたおかげで、両親の寂しさもだいぶ紛れたのではないでしょうか?

 

そんなツル姫が、長い旅からとうとう戻らなくなったのは、実家のすぐ近くに嫁いだ姉が最初の赤ちゃんを産む直前のことでした。

「孫が生まれるから、もう自分の役目は終わったと思ったのに違いない、ツル姫は賢い猫だったから・・・」母はその時、姉に言っていたそうです 涙

 

現在では『猫の健康と安全を保持する観点から、屋内での飼養に努めなければならない。』と福岡市の条例(第12条 猫の飼い主の遵守事項)でも猫の完全室内飼いが推奨されています。このお話は数十年前の思い出話ということでご理解ください。

 

 

by mシッター

 

 

 

 

 

「孝行のしたい時分に親は無し」という言葉、もう永い間実感させられています。

母親が亡くなって今日で24年。大正生まれで、生きていれば今年92才。

「どんなおばあちゃんになっていたかなー」と想像したりします。


私事で恐縮ですが汗今日はシッターたちの母のこと、少し綴らせていただきます。


その当時としては、意外と経済的に恵まれた家の長女として生まれ、世間でいう「お嬢様」として育ったそうですリボン

娘時代から料理や洋裁、お茶に着付と嫁入り修行も修めることができ、戦争さえなければその後も何不自由ない暮らしが出来ていたのかも知れません。

戦後は生活も一変し、貧しい家々が多かった時代
、父との結婚後はかなりの窮乏生活に・・・ゆう★

ちょうど私が母のお腹の中にいる時、住まいが全焼する火という悲惨なできごともあり、随分苦労をしたようです。

 

それでも私たちの子ども時代の思い出は、母が作ってくれる美味しい料理やおやつで、メニューもバラエティに富んでいて、いつもたいへん楽しみでしたおいしそう

また時折り、子どもたちの服もデザインや型紙から起こし、ブラウスやスカート、ワンピースなども手作りしてくれました。


今思えばどれも限られた食材で母なりに工夫を凝らした料理やおやつばかりでしたし、洋服もその多くは知り合いから頼まれ手内職していた洋裁の残り生地で仕立てたものだったように記憶しています。

手内職のことも、母は子どもたちの前では「別にお金のためじゃなく頼まれるからしかたなくやっている」というスタンスを守り続けていましたね ニコッ


いつも親のいいつけを守り、成績優秀な長女に比べ、マイペースでのほほんと育った次女の私ヤッタv さらに甘やかされていた三女の妹。
進学、就職、転職と事あるごとに心配しながらも、最後は私たちを信じ自分で選択させてくれた母。


「人生は明日どうなるかわからないし、いつ終わるのか分からないからこそ意義があるんだよ」という言葉を母から聞いたことがあります。まさにそれは母が実体験で得た人生の教訓だと思いますバラ


新たな道に踏み出し、奮闘中の私たち姉妹のことをさぞかし心配しながらも、天国から見守ってくれていることでしょう。 

by mシッター


 

 


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